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2012.04.14(土)

218 為さぬ成らぬ

はい。

なにかヤル気があって、やってて楽しいと思えるようなことがあるときには暇などないものです。
暇があればその物事に時間と手間を費やす。

僕にだってそういうときはあります。
今はなにもしたくない期間です。

なんていうと良いように聞こえます。
でも逆で、基本的に何もしたくない。奇跡がおきたときだけ、やる気が出てくる。

だからいまの状態が通常なのです。
でもそんな時は、決まってこの世界から消えてしまいたくなる。

やる気がなくて、やりたいこともない。
ただただ、社会の駒として生きる。価値もない。
朝早くに起きて、行きたくもないバイトにいき、終日走り回り、日が暮れて帰宅する。

やらなければならないこと、するべきこと、それらも手を付けず。
やりたいことは判然とせず。
そもそもアラユル事に対してやる気はない。


やりたいことはない。
けれど、「できたらいいな」と思う。

自分にやる気がないことを知っているから、第三者視点からの希望になってしまう。
それは何も、自分に実現不可能なことなどではなく、誰にでもできること。気力さえあれば。
それどころか過去に自分でやったことのあることも含めて、何に対しても第三者視点。

そして、「できたらいいな」のウラには「どうせ無理だけど」「どうせやらないけど」って言葉が隠れている。
気力が出ないのを何かのせいにして、逃げている。

「自分はやればできる人間なんだ。やる気があれば。やる気さえあれば出来るんだ」
と逃げる。

でも答えは違う。
「やる気が無いのがお前だろう」
「出来ないのがお前だろう」
「やる気があれば、なんて言ってるのがお前だ」

自分は何者にも成れはしない、ただの「その他大勢」に過ぎない。

「やる気があれば」。
やる気がないのだと思っているのがそもそもの間違いで、仮にやる気がいつも通りでも無いと思っているだけで、いつも通りなのに何もしたくないのが自分で、何も出来ないのが自分で、何も出来ないのを「やる気」の所為にして、自分はこんなんじゃないと思い込む。

そしてそれはやる気がある人間とのただひとつの違い。
「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成せぬは人の為さぬなりけり」

大成している人間とのたった一つの違いは、「やるか、逃げるか」という簡単な話。
でもそこで逃げるのが僕。逃げないのが今知られているみんな。

やれば出来る。それは誰だってそうだ。
やらないのが、出来ない人間の出来ない理由。

そして僕はやらない。
なにもしない。
何者にもなれない。

そしてこの世界から消えてしまいたくなる。

わりとどうでもいい。




ではまた。

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