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2012.02.01(水)

佰漆拾 時間認識

はい。

気付けば水曜日も終わり。
オークションに出したゲームは売れる気配を見せないし、落札された商品の入金もまだ。
まぁ連絡は来たから、ある程度は待つつもりですが。

今日がどれほど寒かったのか、数値では知りません。
しかし明日の最低気温はマイナス5度。
今日と比較できれば、どれくらいなのか分かるのですが。

先日絵を描いたのですが、予想通り、アレに続く闘志が沸き上がって来ません。
時間が無い、というのもありますが、それは理由にはなりませんね。

時間がないというよりは、時間が経つのが早くなった。
歳を喰っているということでしょうか。たぶんそうなのでしょう。

時が経つのは確かに早い。気がつけばもう水曜日も終わっている。
そしてそれは日にち単位ではなく、時間でもそうなのです。

つまり、僕の動作が鈍化したということになります。
「時というモノが誰にでもいつでもどこでも等しく同じ量だけ与えられている」という仮定が成立するならば、の話ですが。

しかし僕の動作が鈍化したということは、『毎朝同じ時間に起きて、毎朝同じ時間に同じ電車に乗り、毎朝同じ時間にバイト先に着く』ということは不可能になります。
しかしそうはなっていない。
「時が過ぎるのが早い」と思うようになってからも、毎日同じ時刻にバイト先に着く。

となれば、仮定が間違っている。
僕の動作速度は変わらない。
時間は、「誰にでもいつでもどこでも等しく同じ量だけ与えられている」訳ではない。

若しくは、時間を認識する能力が退化してきている。
つまり、100という時間に対して、100%認識できる時期と、今のようにまるで50%になったかのように認識してしまう時期。
人間は年をとるに連れて体感時間が短く感じられるようになるのは事実ですからね。

しかしそれだと、「楽しい時は早く過ぎ、苦しい時は遅く過ぎる」ということの説明ができません。
考えられるのは、
楽しい時というのは、熱中し没頭するため、時間を認識する能力から意識が途切れる。
辛い時は、辛いことから逃れようとするため早く過ぎろと願い、しかしそれ故に時間の認識能力が高められる。

これらのことは意識することは出来ませんが、誰しも体感的に知っている筈です。
つまり総合すると、「時間認識能力は精神状態の影響を受け、かつ年齢と共に衰える」ということでしょうか。


結局、僕も歳をとってゆくのだなあ。

この先に其れに代わるだけの何かが在るとは思えない。
それを考えるだけで、もう何よりも。


うん。


ではまた。



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スレッドテーマ:楽器・機材 ジャンル:趣味・実用
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